抽象に対する誤解

日本では「抽象的」な表現は悪と捉える人がいます。こんな短絡的な理解しかできない人たちはもっと深く考えた方 がいい。

「もっと具体的に言ってくれよ」と怒る上司もいます。

でも、その場合、部下が抽象度の高い文章を言っているのではなく、支離滅裂で分かりにくい話をしているのです。

これと抽象度の高い表現とは全く違いますのでご注意を。

この場合は「もっと論理的に説明してもらえますか?」が正しいですね。

なぜなら使う語彙の話ではなく話の展開の問題であって、抽象性は悪くないからです。

創造的な学びの欠落

この区別がつかない大人が多い理由は、日本の教育に抽象度を上げる訓練がないことに起因します。

この国の教育が、覚えた内容を再現する知識の試験が中心だから、こうした創造的な学びができないのです。

今すぐにでも文科省が考え直さないといけません。

でも、国はなかなか変わろうとしません。

だから私は「意識の高い」現場の先生たちに教えています。

パブリックスピーキング、 つまり公の話というのは、型にはまったセリフを言うのではなく、信頼性の上がる表現を使ってその人の価値を伝えることを指します。

面接だってそうですよね?

大学教員時代には、推薦入試の面接官として入試に携わりました。

学校から渡される杓子定規のセリフを延々と聞かされるこの時間が苦痛で仕方がありませんでした。

想定問答にない質問をするとボロボロの雑巾みたいになる受験生ばかりでした。

頭が悪そうだし、個性もありません。

この抽象表現に関しては、実は大人になっても日本は大して変わりません。

だから語尾がだいたい「~かな、と思います」とか「すごいなって思います」などで終わるんです。

「~の美しさを象徴しています」とか「~の素晴らしさを感じる瞬間です」なんて言い方はコピーライターなんかの特殊な人たちの言葉だと考えているかのようです。

訓練すればだれでもできるパブリックスピーキング

少しの訓練で誰にでもできるのに。

抽象名詞の大切さを習っていないだけです。少し抽象性を上げる感覚を養うだけで、今使っている日本語の印象が大きく変わり、世界が変わります。

抽象度を上げる訓練はパブリックスピーキング道場の中でも行います。

だからみんな日本語が洗練されます。