言語的非論理構造の典型

今、しきりに論理的思考がこの国で

求められている理由に日本語が

あまり論理的にできていないというのが

あります。

 

例えば、到着があまりにも早くて時間が

余った時にあなたは何と言いますか?

 

①「来るのが早すぎた」だったら

オッケーですが、

もし②「早く来過ぎた」と言ってしまう

のであれば実は言葉としておかしいのです。

 

「すぎる」が何を修飾しているかの問題です。

 

ここでは「早い」のが度を越している

わけですから、

「すぎ」は「早」の近くにないといけません。

 

だから①は正解!

 

でも「来過ぎた」だったら「来る」を

修飾しているため、

通常それは頻度が多いことを示さないと

いけません。

 

英語だったら確実に

“I arrived here too early”.

になりまして、

こうした間違いが起こりえません。

 

 

でも日本語はこれが通じちゃうんですね。

 

 

日本文化の特徴

これには日本語が持つ

「コンテクストに頼る度合いの高さ」

という特徴があるのです。

 

この度合いが高い文化を

「高コンテクスト文化」といいます。

 

コンテクストとは日本語にすると

「文脈」とか「流れ」です。

 

いわば、言葉よりも別の情報源を基に

コミュニケーションをしているのです。

 

めちゃくちゃな文法構造だったとしても

聞いている側が意味を理解して

あげようとするのですね。

 

そしてコンテクストのかなり大きな部分を

占めるのが人間関係です。

 

これが日本人のコミュニケーションに

大きく影響しています。

 

つまり相手次第で話し方や話す内容が

分かりやすいのです。

 

年齢が一つでも上と分かった瞬間に、

急に偉そうになる人いますよね?

 

自分がお金を払っている側だからと

ふんぞり返っている人もいます。

 

高コンテクスト文化では態度や言葉遣い、

そして話す内容が、誰を相手にしているかで

大きく変わる傾向があるんです。

 

そこにあまりにも多くの関心がいくから、

論理的に話すとは言葉の美しさなどが

軽視されてしまいます。

 

だから日本では話す側があまり

工夫しなくても通じてしまうのです。

 

 

また、自分でしっかりとした発言をする

注意を払わない傾向があります。

 

聞く側が理解しようとしてくれるからです。

 

だから忖度なんかが求められたり、

「皆まで言うな」などの表現が日本語には

あるのです。

 

 

だけど、そんなのでは人に伝える言葉は

いつまで経っても上達しません。

 

いかなるコンテクストでも、誰が相手でも

、自信を持って相手が分かりやすい話が

できるのが理想的です。

 

そしてそれが今の日本人に求められて

います。

 

 

CSAが提供しているのは

それが可能になる本格的な訓練の場です。

 

コミュ力が低いと感じている人もコミュ力が

高いと信じている人も。

 

確実に変わる「伝達する力」を

体験してください。

 

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