自分の主張でないかのよう
政治家だとか偉い人たちがよく使う言葉
ですね。
「これはもう職権乱用と言わざるを
得ません」などです。
「これはもう職権乱用です」と言った方が
潔いと思いませんか?
そして自分の発言の責任感が伝わりますね?
責任放棄のためのワンクッションの表現です。
また「~と言われても仕方ありません」も
ほぼ同じ心理が見え隠れします。
概して日本人は断定を避ける表現を用いる
ことが多いです。
これはコミュニケーションの際に人間関係を
第一に考慮するからです。
角が立つ、と思うから断定を避けるんですね。
羽田空港に降り立つと電車に乗ろうとしたら
京浜急行(京急)かモノレールの二択です。
もし皆さんが次に東京に行く際、京急を
選んだら車内アナウンスをよく聞いていて
ください。
車掌さんは「ドアを閉めま~す」と
言いますから。
これは福岡に住んでいる者としては新鮮
ですよ。
タイミングや任務の遂行という点で彼らの
責任を強く感じます。
日本のほとんどの地域では
「ドアが閉まります」と言うのでは
ないでしょうか。
これでは、あたかも自分以外の力が働いて
自然に物事が進んでいるかのようです。
それだけじゃない、断定を避ける言い方
断定を避けるという点では「~なんで」で
終わるインタビューの答え方も
その好例です。
「エアコン使いすぎると電気代が
心配なんで…」
「今日のホームランでこれから調子に
乗れると思うんで…」
「あ、オレ将来のこと考えてないんで…
はい。
今さえ良けりゃいいんで…はい。」
すみません。
最後の例は特定の若者に対する
私の固定観念丸出しでした。
文法的にはこれらは全て理由を述べているに
過ぎません。
理由であるなら、この先に本題が来るはず
です。
でも、この続きが来ることはまずありません。
だって言いたいことをここで出し尽くしている
からです。
本題であるにもかかわらず語尾を明確にして
いないのですね。
ただ、これで普段の日本語は通じちゃうん
です。
あとは「そっちで推測してくれ」と言わん
ばかりです。
でもそれでは不親切ですよね。
一つひとつの文を短くして「~んで」
の代わりに「~です」を使うだけで
実は自信のある話し方になりますよ。