皆さん、字はきれいですか?
字が汚いと見られたら恥ずかしいですよね。

話もそうです。
下手だったら恥ずかしいんです。

字よりもよほど恥ずかしいし、人目に触れる機会は多いのではないですか?

だって字の下手さは致命的な欠如ではないからです。

しかも今は手書きの機会は少ないですしね。

なのに、みんな子供の頃から書道を学び、大人になってもペン習字を習う。

そして話し方は学ぼうとしない。

朝礼の時、結婚式の時、商談の時、教壇に立つとき。

ほら、人前で話す機会は人前で字を書く時よりもはるかに多いんです。

だから話し方を学びましょう。

しかし!それは発声、振舞い、そして顔の表情などの非言語ではないんですねぇ。

私が伝えたい話し方とは、語彙/表現と展開において洗練されたという意味です。

時計や服、髪型は上品なのに一度しゃべったら拍子抜けするほど品がなく、頭悪そうな人と話すのは苦痛で仕方がありません。

形だけ整えて中身が伴っていないと分かった瞬間にその人の信頼性はがた落ちです。

非言語だけを取り繕うとするのなら形だけなんです。

中身のあるコミュニケーションは言葉が違うのですよ。

日本人はこれを軽視しすぎです。

美しい言葉は賢さにつながる

考えと言葉には密接な関係があります。

一言で表すなら、頭が悪かったら賢くは話せないということです。

世の中には、話している間にまとまりがなくなり、自分の主張に矛盾が出てくる人がいます。

長いだけで薄っぺらい話や同じ内容のしゃべりを聞かされるのも辛い。

堂々巡りだから議論の最中に自分がどこに向かっているのかすら分からなくなる人たちを他者が理解できるわけがない。

私がプレゼンテーションを通して言葉を指導しているのは、ステージ上で話す俗にいう「プレゼン」のためだけではありません。

私が今言及しているのは、議論、商談、雑談、会議など、生活の多くのコミュニケーション場面での話であり、恥をかく可能性がある機会なのです。

恥ずかしい思いをしないために役立つ学びがあるからなんです。

それがコミュニケーション学に凝縮されているのです。

原稿を書いて、それを添削する中で見えてくるものが、本当のスキルだからです。

だからCSAはプレゼンテーション道場を作りました。

自分の言葉で実践してみて、即使える武器にするためにです。

少しずつ確実に理解し、継続して学ぶことで初めて身につきます。

 道場生はみんな自分の頭の中にある混とんとした考えを言葉にする際にまとめる過程を体験します。

語彙を広げる訓練も同時に行うから、多様な言い回しができるようになります。

誰もが納得する上手い表現を使えるようになります。

議論にも勝てるようになります。

自分を守ることもできます。

もう人前で恥ずかしがる自分からは卒業です!

子どもも大人も、学ばないといけないのは習字ではなく修辞なのです!

春は全てが変わる季節。

4月からあなたも変わりませんか?