サッカーが証明
一昨日(7月28日)のオリンピックサッカー男子 日本対フランス戦ご覧になりました?
4対0で快勝でしたね。Jリーグができて30年。
こんな日が来るとは、昔からサッカー好きな私としては感慨無量です。
でも、この30年間に何があったかを振り返ってみると、海外との交流が進化のための大きな要素として挙げられます。
ブラジルに単身修業した三浦知良氏やドイツにサッカー留学した釜本邦茂氏などから海外の刺激をもらっていた日本人選手が、今ではどんどん海外に挑戦して日本サッカー界を変えています。
現在は海外に籍を置く日本出身のサッカー選手が何十人もいて、しのぎを削っていますね。
彼らのプレーを見ていたら以前の日本選手よりもはるかに攻撃的ではるかに組織的です。
そして、私が着目しているのは彼らのインタビューです。
インタビューに見る国際差
先日日本語のパブリックスピーキングメルマガ「開眼言語コミュニケーションスキル」(月水金配信中)でも書きましたが、アスリートのインタビューは改善すべきことがたくさんあります。
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先日私が訴えたのは、ほとんどの日本人アスリートのインタビューの言葉が軽くて、彼らの価値をしっかり伝える術を持ち合わせていないという点です。
驚くことに多くの協会や連盟でメディア対応の研修をしているとのことです。
ただ、内容が疑わしい。
彼らに必要なのはマナーとか接遇ではありません。
ただ、柔道の大野将平選手は別格で、抽象度の高い表現を使いこなしていたのですねぇ。
これは彼が大学院で学び、論文を読み、書いてきた経験が背景にあります。
自らが学術論文を書く中で、修辞的な表現を使えるようになっているのです。
詳細は7月27日のブログを御覧ください。
だから、アスリートは話す訓練をしないといけません。
海外のアスリートは言葉で伝えるスキルを求められますので、彼らが日本語で話していても他のスポーツ選手との間に見られる圧倒的な情報量に誰もが気づくはずです。
それは彼らが日本語以外で普段コミュニケーションをしているからです。
日本語の特徴として①具象度の高さ、②無駄な副詞の多さ、③曖昧な表現、そして④同じ表現の繰り返しが挙げられます。
①具象度の高さとは、目に見える単純な動詞の組み合わせの使用を指します。
言わば、幼い表現だけで文をつなぎ合わせる単調な構造です。
こんなことを書いたらまた「だったら日本語は幼いって言うのか!!」って怒る人たちがいますが、そう思って構いません。
現在の日本人には幼い表現しか使えない人が多すぎます。
そんな感じで私に対して怒って文句言ってくる人たちは、抽象度を上げた表現を作るのが苦手なだけでなく、聞いたときも難しいと感じることでしょう。
なぜなら訓練しないとできないからです。
②無駄な副詞の多さとは、「すごい、すごく、非常に、本当に、普通に、正直、ぶっちゃけ」など、どこかで耳にした表現をフィラーとして使いたがる傾向を言います。
これらがないと話せない人たちが多すぎる。
そして、こうした「程度を表す副詞」は主観性を映し出しますので、他の人には当てはまらないことが多い。
つまり、すごい、すごい、というけれど、聞いたところで大してすごくもないのです。
「いやぁ、正直、なんか、すごい、嬉しいの一言です。本当にマジやばいです。」
情報スッカスカのインタビューですね。
③日本語は曖昧な表現で満ちており、語尾が「~かなと思います」や「~と言わざるを得ません」とかの無責任な言い方ばかりです。
体言止めなんかもその仲間です。
文を名詞で終えて余韻を楽しんでいると言い張る人がいますが、話している時には得てしてその次に続く文頭が「こうした/そうした/こんな/こういう風に」などの受ける形になります。
菅義偉氏を見ていたら分かりますが、体言止めを使うと中途半端な発話の二段構造になります。スッキリ一つにまとめることができるのに。
これを論理的簡潔性と言います。
そして最後、④同じ単語や表現ばかりを使いますので、猫も杓子も状況や状態ばかり使いたがります。
海外で生活して、違う言語を操れるようになると、日本語の特徴とこうした違いがあぶりだされます。
そして自らの日本語が変化してきます。普段使う日本語から上記の傾向が消えます。
客観的で、より断定的な表現となり、豊富な情報量の発言ができるようになります。
久保建英選手のインタビューを聞いていたら、スペイン語を聞いているかのような情報量です。途切れることがありません。
そして実際に彼はほぼ同じリズムでスペイン語を操ります。
スペイン語との対比で彼の日本語は大きく変わっています。
同じスポーツであるサッカーをやっているのに、日本だけだといつまで経っても変わらない。
でも、世界を舞台に活躍したらどんどん変わるんです。
いつまでも憧れているだけでは変われません。
その代わり、始めるだけで何かが変わる。
言葉はそのいい例です。
日本だけで過ごしている選手と、海外での受け答えを知る選手の間では言葉に大きな開きがあります。
言葉が変わると、自分がいるこの世界を違う視点で体験できるのです。
コミュニケーションスキルは日本語と英語で通底しています。
いえ、直結と言ってもいいでしょう。
英語を学ぶから日本語が良くなるのです。
なぜなら、母国語の限界は、外国語と触れ合う中で軽く超えられるのですから。