英語学習講演会

昨年12月22日、丸二年ぶりに対面の講演会を国立熊本高等専門学校で行って参りました。

英語学習講演会を実施しました。(12/22)

実に気持ちの良い時間でした。

熊本高専の学生さんたちは、賢く反応も良いものですから、話す側としても快適でした。

今回は英語のクラスを担当されている先生からのご依頼で、最終目的地は英会話のコツでした。

だけど、ここで 一般的な英語の授業しても全く面白くありません。

英語を話すための日本語の訓練について話をしてきました。

基本的な考え方は「日本語でできないことを英語でできるわけがない」です。

当たり前の話ですよね。

ということで、普段私がメルマガで書いている内容と英語教育との関連性で話をしてくださいというリクエストでした。

実際のところ、 通じる英語と洗練された日本語の間には、大いに関連があるんですよ。

論理的な言語である英語を話そうとするのであれば、日本語で論理的展開ができないといけません。

かつ言葉を重視する英語圏の文化では、言葉遊び、つまり修辞的に話せないといけないわけなんです。

日本語能力が英語に反映される

CSAパブリックスピーキング道場で教えている日本語の内容は、実は英語を話すときの基礎になるんです。

これまで日本人が度外視していた言葉の巧みさが英会話には不可欠なのです。

職場で「食べた?」と言ったら「僕はまだ食べてないんだけどもし食べてなかったんだったら一緒に昼ご飯行かない?」と推察することが日本では前提となります。

じゃあ英語で”Ate?”なんて言うかって話ですよ。

"Did you eat lunch yet?"

英語では主語も目的語も必ずいるんです。

また、日本人は会話の中で何度も同じ単語や表現が繰り返されたとしても気にならないようですが、それでは英語では相手からすぐに飽きられます。

いつも同じだったらつまらないでしょ?

だから言い換えが求められるのです。

つまり豊富な語彙です。

言い換えという点では比喩も重要です。

特に隠喩が普段の会話の中にもふんだんに出てくるのが英語なんです。

この夏行われた東京オリンピックスケートボードの実況で真夏の大冒険という表現がもてはやされました。

個人的にはそこまで大騒ぎするほどの高度な隠喩だとは思いませんが、直喩(〜のようだ、〜みたいな) しか使われない日本語の中では際立った言い回しとなりました。

同時にこうした言葉遊びは日本社会でも受け入れられることを示しています。

修辞技法としては、韻を踏むのは日本ではラップの専売特許になっているようですが、 アメリカだとポップスでもカントリーでも売れてる曲は全部韻を踏みます。

映画に関しても、コメディーはハリウッドの場合ほぼ全てが言葉によるものです。

対して、笑いを狙う邦画は大体動きを伴うか、犠牲になる誰かの失敗が映し出されています。

だから今回は、「英語を話すんだったら、 まず日本語でできないといけない」という趣旨の内容を60分で話してきました。

終わった瞬間にタイマーを止めると59分40秒でした。

これは気持ちが良い。

学生さんの感想

先日、担当の先生から嬉しいご報告がありました。

受講した学生たちから大好評だったそうです。

「もっとパブリックスピーキングのことを知りたい」

「これまで聞いた講演会の中で1番良かった」

「生物工学の先生たちに対しても講演してほしい」

「英語学習にやる気が出た」

「聞いている人を飽きさせない話し方を見つけたい」

などなど。

 

この2年間、講演はすべてzoomでした。ただオンラインでは聴衆と目が合いません。

これではメッセージ交換の点で物足りない。

対面の講演ではそこにいる方たち全員と目が合うようにしています。

なぜならコミュニケーションの一形態だからなんです。

だから公の場で原稿を読むだなんて論外なんですね。

終わった後にはたくさんの質問をいただきました。

彼らの必死さからは、先行きの不透明な世界で生き抜くために必要なスキルを探している姿が垣間見えました。

学校では学ばないのに社会で必須となる技術の全てがスピーキングの中に含まれています。

責任者の先生からは「考えが全く同じで共感しっぱなしでした!」とお褒めの言葉をいただきました。

私の使命はこの学問の1日も早い日本全国への拡大です。

今年はあなたにお目にかかれるよう全国を飛び回ります。

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