東須磨小学校の教員いじめ
実にショッキングな動画でしたね。
ここまで未熟な大人が教員になっていたこと
に唖然としました。
様々なメディアで取り扱われていますので、
これに対しては今更私がここで話すことは
避けます。
私が今回指摘したいのは、これに対する
コメントです。
メディアで言われていたのが「昔は殴るのが
普通だったけど、今はそんな時代じゃ
ないから…」というのを複数回聞いたのです
ねぇ。
引っかかるのは「殴るのは昔から悪かった
はずなのに、みんなそれでよかった」と
言わんばかりの風潮です。
そこには反省など感じられず、社会が
変わったから仕方がないかのように
聞こえます。
あんな犯罪行為はどんな時代でも悪ですし、
変えるのが遅すぎたくらいです。
いつまでも「自分の時はもっとひどかった
けど、それを乗り越えてきた」などと
いった武勇伝は必要ありません。
他にもあった武勇伝の弊害
この類の武勇伝と重なるのが「自分が学生
時代は全く勉強しなかった」という自慢
です。
アルバイトに明け暮れ、飲み明かし、
朝まで麻雀をし、授業をサボってばかり
だったと…。
本来勉強しないといけないのが学生なのに、
いかに自分が悪かったか、そして今は
曲がりなりにも社会人として生きていること
を自慢します。
実は歳をとっただけで、大したことないかも
しれないのに。
そんなことを言う大人が多いから…なのか、
日本の大学生は勉強しません。
本当に勉強しません。
入試がゴールになっているというのも原因
ですが、学生たちが「勉強しなくてもいい」
と思うようなことを言うのはよくない流れを
作っています。
現在の日本の大学進学率は約53%。
768の大学があります。
そのうち36%は定員割れに直面して
います。
では定員割れになっていない大学は安泰かと
言うと全くそんなことありません。
よほどいい大学でない限り、教室の中では
私語が多く、スマホをずっと見ている学生が
大半の学級崩壊のような授業をやっている
のが圧倒的に多いのです。
大学も、教員も、学生もみんなで「大学は
勉強しなくていいところ」だという環境を
作り上げています。
大学の教員時代、私はコミュニケーション学
と英語を教えていました。
ある時、出席もろくにしていない、成績も
悪い4年生の何人かに不合格をつけたの
ですが、学部長から呼び出され
「英語なんかで卒業できなかったら、彼らは
また学校に来なくなる。合格させてやれ。」
と指示されました。
「英語なんかで…」
きゃ〜!恐ろしいですねぇ。
不思議な職場でしたよ。
働くのがバカバカしくなりましたね。
私が大学を辞めた理由の1つです。
今では学生を甘やかすことが「面倒見の
いい大学」となっているようです。
私にとってはこれも悪です。
親が払う学費で、遊ぶことしか考えて
いない学生を相手にするのは大変です。
CSAは違います
CSAではプレゼンテーションも
コミュニケーション学もしっかり出席して
勉強しなければ認定しません。
自分で稼いだお金を払って参加するから、
実際は全員が真面目に勉強します。
ズームで参加する授業だから私語も
ありません。
だって隣に誰もいないから。
そして原稿をとことんまで私がチェック
します。
一人で書いているのではなく、講師と
二人三脚なのです。
合格になるまで何度もメールで原稿を校正
します。
論理的になるポイントを指摘し、単語/文章
を多角的に言い換えられるヒントを与え
ます。
面倒見の良さとはそういう意味のはずです。
そして正義とは何かを受講生と共に考え
ます。
なぜなら「正しさ」はコミュニケーションに
欠かせない発想だからです。
正しいメッセージを正確に伝えると信頼性に
繋がります。
この手法を悪用(例えば詐欺など)され
ないようにするためにも、私が作った協会を
責任持って監視し、学術の新たな社会貢献を
果たしていきます。
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