異文化を話す
不思議な響きがするかもしれませんが、外国語を話す時には必要な感覚です。
これを理解するためには、文化の定義を改めて考える必要があります。
コミュニケーション学では文化を「特定の地域に住んでいる人たちの行動と思考に関するルール」と定義します。
文化を形成するには一定の広さの場所が必要であり、そこに人が住んでいないといけません。
だから無人島には文化は存在しません。
そして人がたくさん存在していたとしても定着せずに通り過ぎる場所でも行けません。
そこには時間が必要なのです。
住んでいる人たちがどう行動するか、どう考えるかを長年にわたって自分たちで知らないうちに決めている傾向を指します。
だから失敗すると笑ってごまかす日本人を海外の人たちは理解できないのですねぇ。
同様に、議論の際に遠慮なく言葉をぶつけてくる海外の人のことを、日本人は土足で踏み込むと捉えるのです。
これでは仮に自分の母語を外国語に置き換えたとしても通じるわけがない。
対象となる言語の背景にある文化を知る必要があります。
英語は合理的な文化の人たちが話す言語です。
だから文章の組み立ても合理的でなくてはなりません。
直線的に文をつなげていきますので、発言の初めから最後までに一貫性が求められます。
それに対して、日本語は逆接が多いものですから、話があっちこっちに行ったり来たり。
これこそが起承転結の弊害です。
ただ、この起承転結を未だに正しいとしている分野があります。
それが入試の小論文です。
国語の試験を作っている権威ある人たちが変われないのが問題です。
学術論文などでは一切使えません。
この使えない化石のような論法を頑なに守り続けているから、日本人が文章を書こうとすると、やはり行ったり来たりで書きます。
今言ったばかりのことをすぐ否定するのですね。
「私はこれまで動物が嫌いでした。でも改めて観察したらとてもかわいいことに気づきました。だけど引っかかれ るかもしれないから、まだペットは買いません。でも将来は...」
といった感じです。
幼い子が書いた印象を受けるでしょうが、大人が書いてもこの程度しか書けない人が多い。
「でも、だけど、しかし、」を使わないと文章を書けないようです。
これを頑張って英語にしたとしても、相手の頭の上には4つくらいの疑問符が浮 かぶことでしょう。
これが顕著に表れるのが英語で会話を使おうとする日本人が "Yes. Aha. Yes. Yeah. But..." という謎の逆接で発言を始める時です。
この時点で相手は「えっ?さっきまで同意していたよね??」と混乱し、会話が崩壊します。
communication breakdown と言います。
これでは英語にしたつもりで英語にならないのですね。
この矯正をするのであれば日本語でもできます。
文章を書いてみて、さっきの「でも、だけど、しかし」を使わなければ、直線的な展開ができることに気づきます。
ただ、使わなければいいというわけではありませんよ。
内容が逆接であれば意味が通じませんからね。
そんな時は逆の意味を言っている箇所を取ってしまえばいいのです。
それは得てして起承転結の転の部分ですから。
で、次に多くの日本人が気づくのが「逆説を使わないと文章を広げられない」というジレンマで す。
順接で結んでいく手法を覚えたら、一つの事象を多角的に、多面的に説明できます。
俗に言う立体的な文章です。
逆接で展開するのは直線の対極から、二つの文を反対向きにスタートさせるようなものです。
言わば、1次元の文章です。
たまに変化を入れようとカッコ書きの直接話法を取り入れようとします。
この繰り返しだから面白くない。
この原因は教育、特に国語にあります。
日本人が英語を話せないのも実は国語教育に問題があると私は読んでいます。
「これが日本文化なんだよ!」で結論付ける人がいますが、日本人が進化できていないことを恥じるべきです。
英語を学ぶと日本語が変わります。
見えなかったものが見えるようになります。
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