エッセイ(小論文)教育
私は日本で教育を受けて大学まで進みました。
しかし日本で作文方法を習ったことがありません。
高校3年生の時、国語教員に小論文の書き方を尋ねた時のこと。
教員:「そんなもん序論本論結論で書きゃあいいんだよ。」
私:「その中身はどう書けばいいんですか?」
教員:「そんなもん本を何冊か読めばいいんだよ。」
私:「何冊読んでも分からないんですよね。」
教員:「そんなもん読み方が足りんのだよ。」
心に気持ち悪さが残ったままでしたが、運よく大学に入学しました。
でも、教授から出されるレポートが毎回嫌でしたね。
書くのが苦手だったんですよ。
でも、友人の中にはもっともらしく、レポートっぽく難しく書ける奴がいたんですよ。
4年間の浪人生活を経た彼は、どこかで書き方を習得していたようです。
そんな私に転機が訪れたのは、アメリカでの交換留学時代でした。
▲向かって右が筆者です。
外国人向けクラスで学術論文の書き方を全くのゼロから体系的に学びました。
どんな話題でも簡単に論理的に書ける方法です。私には衝撃的でした。
論文の書き方との出会いもそうでしたが、もっと大きな驚きは、外国人はその書き方を中学校から習っていたとのこと。
アメリカで言う外国人とはイタリア人やスイス人やアルゼンチン人などの非英語母語話者のことです。
香港人も知っていました。
私だけ、日本人だけが習ったことがなかったのです。
日本人だけだと自信を持って言える理由は今でも日本人が知らないからです。
日本文化は言葉よりもそれ以外の情報で解釈してあげようとする傾向があります。
だから全てを言葉にしないコミュニケーションがこれまで美徳とされてきました。
ただ、これではいつまで経っても国際的に活躍する人材が生まれないものだから、この10年くらいでやたらと論理的思考やそのカタカナ読みが流行りましたが、一向に浸透しません。
だって、ロジカルシンキングでは考えで終わっているからです。
いくら論理的に考えたと言い張っても、それを言葉にしないと証明できないのですね。
思考の言語化
日本人に必要なスキルは論理的言語化です。
私はこれをアメリカで学んだ時に、日本に帰って教える使命を感じ、大学の教員になる覚悟を決めました。
日本と世界の最大の違いはここにあります。
そして、今ChatGPTの出現でこの差がさらに大きくなっています。
文章作成が苦手な日本人が、楽をできるこの道具に飛びついているのです。
実に滑稽です。
それに対して、欧米は危機を感じています。
そのため規制を求めており、そこにはChatGPTを作り出したアルトマンCEOも含まれています。
自分の発明が人間に与える悪影響を懸念しているのです。
そしてその不安とは人間の論理的言語化の放棄です。
もともと日本人は論理的言語化の対極にいるのだから、それを可能にしてくれるChatGPTに期待しているようですが、これは実に情けない。
加えて、ChatGPTは修辞的にもお世辞でも褒められた代物ではありませんが、これを絶賛する人が多すぎます。
修辞とはその場で最も適した語彙の選択ですが、そこに上手さを感じるのは人間だけなのです。
でも日本人はこれが苦手です。
論理だけでなく、修辞に対しても無頓着だからです。
そしていずれも学校教育で教えられていません。
冒頭に登場した高校教員のような教育が今でも続いているのです。
欧米人は論理と修辞を自分でできないとまともな大人とは見なしませんし、文章作成において今回の発明を称賛する人は知性が高い人ほど少ないです。
論理と修辞を反映させた言語化を体系的に学ぶ教育が現在の日本には必要です。
これがコミュニケーションの基本であり、コミュニケーション能力の正体です。
ChatGPTを使うのであれば、自分の論理的言語化を学ぶべきです。
でないとChatGPTを添削するだなんてできません。
こういう話をもっと聞きたい方は6月24日(土)に名古屋にお越しください。
https://commskill.net/nagoya20230624
日本をもっといい国にするために教育にできることを話し合いましょう。
【筆者紹介】
野中アンディ
(一般社団法人 コミュニケーションスキル協会 代表理事)
子どもから大人までが参加する、言葉が洗練されるオンライン教室「パブリックスピーキング道場」を主宰。アメリカのリベラルアーツ科目である論理、修辞、文法を日本語に応用し、より独自性と創造性の高い言葉の作り方を指導している。現在は認定講師が各自の道場を持ち、言葉の見える化と映像化をテーマに全国に展開中。エグゼクティブ向けパブリックスピーキング、アスリート向けメディア対応などをプライベートレッスンでも教える。超実践的英会話講座「雑談English」シリーズも好評。企業や学校、PTA等講演多数。福岡県春日市出身。詳細はこちら。