外国と接したら初めて分かる

先月、パブリックスピーキング道場に入会された方は、長い間ドイツにお住まいです。

ドイツで生まれ育ったお子様がいらっしゃるのですが、そのお嬢様が人前で話すことに対して全く苦手意識がない、いえ得意だとのことです。

ただ、それがなぜなのかは長年不明だったとのこと。

体験レッスンの際に、欧米ではパブリックスピーキングを小学校から徹底して教えていることをお伝えすると合点がいったとのことで、すぐに入会されました。

そうなんです。

日本ではこの教育が行われていないため、多くの方が学問としてのパブリックスピーキングの存在すら知りません。

でも国民には責任はありません。

全て文科省の責任です。

だから先生たちも学んでこなかった。

この国が子供たちにとって本当に必要な知識とスキルを教えていないことを如実に表しています。

だから世界に出て、しばらく滞在すると初めて知るのです。

自分が話せない原因が単に英語を勉強していなかっただけではないことに。

そして、生きていく上でこんなにも必要な術なのに学校で習っていないことに。

実際にCSAでは多くの教員の方たちが受講しています。

それぞれの学校でプレゼンテーションスキルを教えるためです。

それでいいんです。

文科省が、そして政府が教育にお金をかけないものだから、学校の先生が身銭を切って学んでいるのです。

そして新しい学びに出会い、コミュニケーションそのものと教え方が変わっています。

ただ、この新しく見える新しい学問は、欧米では2400年前から教えられてきました。

日本は多くの面で世界から遅れています。

完全なる後進国で、衰退の一途をたどっています。

いくつもあるその原因の一つがこのパブリックスピーキングの欠落です。

飛躍しているように響くかもしれませんが本当です。

パブリックスピーキングの原点

パブリックスピーキングの原点は、全く何もないところから考え、言葉にするプロセスです。

表に出る単純な「話し方」だけではありません。

この学問が浸透していない日本では、プレゼンは先輩のスライドのテンプレを少し変えて、それで話せばいいと短絡的な考えがはびこっています。

そして現場では一切観客を見ることなく、ショーもない原稿を読み上げる。

そんなのはパブリックスピーキングではありません。

だからいつまでも人前で話せない。

とっさの言葉も出てこない。

新しいアイディアも出てこない。

いつも同じ単語、表現を使って「話せたふり」。

そして周りも評価の仕方を知らないから「今日のプレゼン、感情がこもってて良かったよ」などとショーもないゴミのようなコメントを残します。

こんなの日本だけなんですよ。

そして海外に行って初めて分かるんです。

日本がパブリックスピーキングにおいても後進国であることを。

だから最近は海外からの方が何人も参加されています。

そして海外に行こうとしている方が何人もいらっしゃいます。

移住を計画している方たちが何人もいらっしゃいます。

海外で仕事の内定をもらっていて、あとはコロナウィルス感染の落ち着き方次第、という方もいらっしゃいます。

日本だけしか見ていない、言わば視野の狭い方はCSAには向いてません。

世界と日本を客観的に、かつ主体的に見ることができる方たちばかりが学んでいます。

全ての原稿を担当者が目を通し、添削し、お返しします。

どれも独自の視点で興味深いのですが、数か月経ったら、全てが修辞的で論理的だから話が知的で分かりやすい。

全員が学ぶたびに成長があり変化があります。

世の中の頭弱そうに話す人が、なぜそう映るかが説明できるようになります。

そして賢い人がなぜそうかも説明でき、分析し、評価できます。

なぜなら自分が賢く考え、賢く話せるからです。

人生とものの見方を変える自信があります。