国語の問題

今回は国語の話です。

 

私は高校時代、国語科目が苦手でした。

 

特に「著者の意図は何か?」という問題が

嫌いでしたねぇ。

 

「それを聞いてどうなる?」といつも

思っていたのです。

 

そうなんです!

 

その頃からひねくれていました。

 

実は、その疑問は今でも持ってることなん

です。

 

意図はわかるんですけど、その確認に偏向

した試験の在り方に賛成できません。

 

授業が解釈で終わっているんですね。

 

つまり筆者の意思をくみ取る、読み取る能力

を伸ばすことばかり習ったんですね。

 

なるほど!

 

日本社会で求められる空気を読む力と直結

しますね。

 

だからみんな言わなくても分かってもらう

ことを期待するのかぁ!

 

日本でコミュニケーション能力が「聞く力」

とか「解釈する力」などと言われることの

原因の一つが試験ではないかと感じます。

 

この国は理解度を測る尺度が試験の点数に

偏っているのです。

 

NHKの番組

NHK高校講座「国語表現」という番組が

あります。

 

この番組の趣旨は【言語感覚を磨いて表現

する能力の向上を目指す「国語表現」】と

あります。

 

私はこの国の日本語能力を伸ばす必要性を

強く感じています。

 

だから期待していました。

 

でも実際に見てみると残念ながらこの番組

の内容はやはり問題の解き方だったん

です。

 

試験のために勉強する。

 

なんと無駄なエネルギー消費でしょうか!

 

学校ではもっと教えられます。

 

社会人になってすぐに使える財産を。

 

国語で学んだことが本当に役立っていま

すか?

 

作者の意図の解釈は学校でないとできない

ことでしょうか?

 

みんな中学校までに修辞技法をいくつも

学んだはずです。

 

擬人法とか倒置法とか、あれです。

 

あれが長文のどこに隠されているかを探し

出すのではなく、自分で使うことができる

んです。

 

やってみれば誰でもできることなのに、

どうしたら使えるかを学校で教えません。

 

そして試験をすることが目的となると、

どうしてもそこにあるものから解読する

ことのみが客観的判断の材料となります。

 

だから試験に対する捉え方がいけないの

です。

 

大学入試の英語の問題は一時的に回避され

ましたが、まだ国語の記述式の問題が残って

います。

 

言葉を作る作業は書くことから始まります。

 

そこに論理と表現が反映されます。

 

先生がどこを見るべきかが系統的に

決まっています。

 

それを使う場面を作ることが、児童/生徒

の習熟度となるわけです。

 

つまり書いたものを話す行動に移すのです。

 

読むのと話すのは大違いですので、

原稿を読みあげないことが大切です。

 

そこに点数をつけることもできます。

 

当然、学習者は知識以上にスキルも身に

つけられます。

 

何を頭の中に詰め込んだかではなく、

どれだけできるかを測ることができます。

 

社会に出て即実践できる学びです。

 

お分かりですね。

 

コミュニケーションの基礎がプレゼンテー

ションであることが。

 

どんな分野であっても不可欠なのが

「ちゃんと話せる力」。

 

解釈するだけの受け身の姿勢では何も生まれ

ないのです。

 

子どもたちがそれを学べないのはとても

残念なことです。 

 

まぁ、一つ言えることは、私はNHKの

教育テレビをよく見てるってことですね。

 

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