どんな能力?
コミュニケーション能力って便利な言葉
ですよね。
なんでもかんでもこの言葉に当てはめれば
都合がいいし、これさえあれば何でも
できそう。
でも、便利だからこそ注意が必要です。
なぜなら広い解釈のために本当の姿が
見えないからなのです。
その証拠に、今この記事を読んでいる
あなたはコミュニケーション能力って
何だと思いますか?
よく聞くのが「共感する」です。
非常にあやふやです。
伝わった満足感と、自分を理解してもらえて
認められて安心することが最終目標
のようです。
次に聞くのが「聞く力」ですね。
完璧に受け身の表現です。
その次が「コミュニケーションを円滑に
する力」です。
言いたいことを言わない(言えない)のかも
しれません。
その後「人間関係を築く/維持する」
でしょうか。
だいたいコミュニケーションって
本来英語ですので、
この単語の本質を考えないといけません。
もともとこのcommunicateという単語は
「伝達する」という意味です。
実は日本ではあまり知られていませんが、
病気を伝染させるという意味でも
使われます。
だから「共感」とか「関係性」とかは
日本人が都合よく作った拡大解釈であり、
コミュニケーション能力の高さを説く際に
「聞く」というのは動作として
あべこべなのです。
communicateとは本来
発信する側であり、
「話す」ことを指しています。
では、なぜ日本では上記のような
独自の解釈となってしまったのでしょうか。
それは日本文化の関心が共感や関係そのもの
だからなんです。
だから日本で考えられている
コミュニケーションは本来の捉え方としては
「日本はコミュニケーションの際に
人間関係を重視する」というのが
的確でしょう。
日本では人間関係が強いから
コミュニケーションが
「関係性のために会話する」という風に
考えられているようです。
ここに大きく深い落とし穴が
隠されています。
「相手に不快な思いをさせない」
という感情が先行するんですね。
だから日本ではコミュニケーション能力が
都合のいいように解釈され、
結局「人との和を優先させ、
当たり障りのない行動ができる能力」と
主張する人が多いです。
コミュニケーション能力は本当に必要なのか?
みんな求めているコミュニケーション能力。
でも日本ではこの能力は「和」を重視する
ため「個」をつぶしかねません。
先日、講座の中である受講生の方が
興味深いことをおっしゃっていました。
日本では本来のコミュニケーション能力は
求められていないということなのです。
日本でいうコミュニケーション能力って
結局のところ「グループに属していて、
上司の言うことに従順で、場を乱さない」って
ことじゃないか?とおっしゃっていました。
なるほど!合点がいきます。
私が企業研修の営業に行くと、
「よく聞いたらウチが考えているのと
違った」ということがたまにあります。
そうした企業が求めているのが
「スタンドプレーではなくチームプレーで
組織で働ける人…」らしいのです。
私としてもそんなところで研修をするの
でしたら地獄になりますので
お断りしています。
私には集団に埋没する人材を育成する
研修は担えません。
場の流れや雰囲気を読むのは確かに
必要です。
でもそれはコミュニケーションの
一部であり、ごく表面的な側面です。
それがコミュニケーション能力だと
言うのであれば、
なんと消極的な捉え方でしょうか。
いつも言うことを聞いて波風立てない
人材で囲まれたい組織には
そもそもプレゼンテーション能力は
必要ありません。
CSAが企業研修を担当しているのは
個の力を伸ばそうとしている組織です。
一人ひとりが伝える力を養うことを
求める企業でないとついていけない
内容だからです。
そんな企業では本当の意味での
コミュニケーション能力が必要と
なります。
コミュニケーションについてもっと知りたい方はメルマガで読むことができます。
大学で教える内容を無料で購読できます。
ぜひご登録ください!