ウチとソト
オリンピックは中止の選択肢は消えたようで、開催されるみたいですね。
昨日は「酒類の提供をする」なんて情報が漏れましたが、全国から不満が出たために今日になって諦めるとの話が出ました。
飲食店関係の皆さんからしたらたまったもんじゃない!
菅内閣はその辺分からないのですよ。
海外の人にはいい顔をしようとするのは、自分の評価を上げるためです。
よその人の顔を立てるために、内側の人を蔑むのはウチとソトを使い分ける日本文化の特徴です。
自分の妻のことを昔の人は愚妻と言ったものでした。
私はこんな単語は一度も使ったことはありません。
自分の息子のことを愚息と呼ぶ人も以前はいました。
私には可愛くて仕方ありませんので、子供たちのことを外に向かって決してそう呼ぶことはありません。
今回の菅政権の「オリンピックだけは酒類の提供OK」とか「開会式は関係者は人数制限に入らない」とのメッセージは、国内の店を愚妻や愚息と称し、海外の人をもてなす姿勢を見せたにすぎません。
日本のやり方を異文化にも当てはめようとしているのですね。
しかも「お・も・て・な・し」なんて言ったもんだから輪をかけてひどくなったのかもしれませんね。
ただ、おもてなしは別に日本の伝統でも特徴でもありません。
客人をもてなすのは多くの文化で当たり前の慣習です。
日本よりも盛大に歓迎する文化もあります。
オリンピックだけ特別扱いされたのでは、これまで我慢してきた日本国内の飲食を初めとするビジネスは、海外に対する自分のメンツを保とうとする政治家に堪忍袋の尾が切れたのですね。
当たり前です。
IOCにペコペコし、くだらない評判に付き合わされるために犠牲となるところだったのです。
でも、愚妻や愚息はそれと同じで身内をへりくだる表現は言われた方はたまらない。
そんな扱いをされる筋合いはありません。
それは日本の飲食業界も一緒。
尊重されなければならない、日本の誇るべき構成員の皆さんです。
今回の酒類提供の件は丸川大臣がステークホルダーについて言及していました。
スポンサーのために、と言う魂胆が明言されたのです。
これはどちらかというと日本に伝統的に残る談合と同じ発想です。
同じ業界でも特定の利益を確保しようとする悪しき慣習です。
日本ってのは、特別な誰かにいい顔をするためには公平さが保たれなくてもいい国なんですねぇ。
談合はこの国では300年以上前から行われています。
そしてなかなか無くなりません。
談合の問題点はいくつかありますが、今回の手口との関連で言えば「前回はあの人だったから今回はあなたね!」と外部からは分からない過程で勝手に決めてしまうのです。
そしてその人の利益を守ろうとするものだから、最低制限価格を教えたりして、ふたを開けたら落札価格がピッタリあったりするのです。
無数にある飲食店の経営者、従業員は今の政治家たちには見えていません。
関係のある人だけしか見えないのです。
自分の知り合いの中では恥をかきたくないけど、他の人たちの前ではどうでもいいのですね。
「あとは野となれ山となれ」や「旅の恥はかき捨て」なんて諺はこれを象徴しています。
ダブルスタンダードを許す土壌がここにはあります。
そう考えると、杉原千畝はどれほど偉大な外交官だったかが改めて分かります。
彼は慣例や評判ではなく、自分の信念に基づいた判断でビザの発給をすることで多くのユダヤ人の亡命の手助けをしました。
彼も外国人のために働いたのですが、日本人を誰も犠牲にしていません。
目指したのは自分の名声でもありませんでした。
その点が菅氏とは大きく異なります。
そして杉原は偉人となりました。
彼の判断を人は英断と呼びます。
さて、日本人よりも海外からの評価を優先し、臨機応変さの欠片もない菅氏を歴史はどう判断するのでしょうか。
最後に、国民のために働くと言うスローガンを掲げている菅の写真を見て、日本に滞在している外国人は果たして何を思うのか。