日本は会議で発言しない人が多いですね。

これは発言の仕方を知らないのかもしれません。

または何かに遠慮しているのかもしれません。

日本の大学生も授業中にめったに発言しません。

日本で授業中に手を上げるのはよほどの変わり者だと考えられているかもしれないくらいです。

質問がある学生は、授業の後にササっと教壇に近寄り、こそっと聞いてきます。

良い質問だから他の学生とシェアしたらどれだけ良かったことか、と嘆くほどでした。

日本人は人前で話すことに慣れていないのです。

発言しない人=存在しない人

これがアメリカでは違いました。

授業中に発言しない人がいないのです。

先生が議論を促します。
アメリカの教員の役割はどちらかというとモデレーターです。

なんなら発言しないのであればそこにいる価値がないということで欠席扱いになりました。

ディスカッションに参加し、発言し、疑問を投げかけ、解決に貢献しなければ、何も考えていないと考えられるからです。

発言しない人は頭の中が空っぽで生産性がないと言われていました。

日本でこれができない理由の一つは、学校で話す訓練をしていない点が挙げられます。

日本の学校は生徒/学生をコントロールしたがりますので、自由に発言を促すことはそう頻繁にはありませんし、発言の仕方も教えていません。家でも教えていません。

なぜなら親が教えられないから。
家庭は社会の縮図です。

子どもに話し方を教えてきたか、また自分が子供の時に親から話し方を習ったかを思い出してみれば、いきなり「話せ」というプレッシャーがこの国ではいかに無謀なのかを理解できることでしょう。

でも、今は時代が違います。

これまで「まともに話すこと」に対して正対してこなかった日本社会の姿勢を改める時が来たのです。

少しずつ社会が分かり始めています。これを機会に考えてみましょう。

ヒントは公式メルマガ「開眼!言語コミュニケーションスキル」でお伝えします。