日本が国際社会で生き残るたった一つの方法

日本で働こうとしている外国人に対して高い障壁となっているのが日本語運用能力です。

「大卒外国人の採用、「高い日本語力」要求が壁 米欧は専門性重視」(2021年12月27日 日本経済新聞より)

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78796430W1A221C2MM8000

せっかく高度な専門性や技術を持っているにもかかわらず、日本語の会話力が低いだけで日本企業から採用されません。つまり日本社会は貴重な人材をみすみす失っています。

少子高齢化が進む日本において外国人労働者は今後貴重な存在となります。驚くことに全体の7割の企業が日本語能力試験で最高ランクのN1を求めています。

その理由は「言語・意思疎通が不安だから」だそうです。

それに対し、欧米では会話力よりも専門性を重視した採用が行われているとのこと。

まあ、分からないでもありません。

世界中の人が英語をしゃべることができるからです。

じゃあ問いたい。

受け入れる企業側は外国語をそんなに話せるのか?

言葉や意思疎通を自分たちで外国語でできるのか?

自分にはできないくせに外国人には高い水準の日本語運用能力を求めるのは外国語を操るセンスを持っていないためです。

どれだけ高い条件を提示しているかに気づいていません。

何か国語も話せる人達がウジャウジャいる欧米の世界では、外国語話者に対して寛容なのです。

この感覚が今日本人に求められています。

「郷に入れば郷に従え」を振りかざして外国人を日本化させようとする視野の狭さが、日本社会の国際感覚の育成を阻害しています。

「ユーは何しに日本へ」に代表される「日本大好き外国人」を称賛しては喜んでいる限り、日本人はいつまでたってもこうした感覚を養えません。

たまには、外国人労働者がやってきた企業がどれだけ異文化を受け入れ、自らが変化しているかに焦点を当てるべきです。

「なんだやっぱりN1を持ってても、たいして日本語しゃべれないじゃないか」などと言いながら従業員にTOEICを受けさせている企業は考えを改めるべきです。

試験としてはTOEICの方が使えませんから。なんならそんな企業で働いている日本人社員の日本語も上手くありません。国際感覚も外国語運用能力も母語のセンスもゼロの社員がほとんどです。

そうこうしている間に優秀な人材はみんな日本以外の国で働きます。

日本が今後生き残るためには外を向かないといけません。

外国人を日本人化させるのではなく、大海を見るべく井の外の蛙になる必要があります。

英語は学ぶものではありません。

使うためにあります。

早くしないと人生は意外と短いですよ。

※私は普段「意思疎通」という表現を用いませんが、新聞に書いてありましたので今回はそのまま転記しています。コミュニケーション学者は通常この単語を用いませんで、コミュニケーションをメッセージ交換のプロセスと定義します。