現代日本の最大の問題

この30年で日本の国際競争力は1位から31位に急落しました。

世界は急速に変化しているにもかかわらず、日本だけが変わることができなかった結果です。

変化に対するこの疎さは、発言力、発信力、創造性の全てにおいて教育がついていけていない点にあります。

とにかく表面的な変化だけを追おうとする傾向が日本をダメにしています。

基本がないのに形だけで取り繕うとします。

 

その例が日本式のプレゼンに見ることができます。

言葉の教育をせずにパワポを作り込んでプレゼンだと言い張る社会。

原稿やスライドを読み上げるのは日本人だけです。

TEDxを日本で開催しても、せっかくのアイディアを生かす言葉が貧素だから英語で観た時ほどの感動はありません。

DXもイノベーションもゲームチェンジャーも、クリエイティブも、最先端の響きはしますが、全ては欧米の表面的な猿まねで終わっています。

 

ではなぜ欧米は革新的な発明ができるのかというと、教育の中にリベラルアーツとして論理、修辞、文法があるからです。

言葉の学びですが、その本質は思考の学びです。

論理的な考えは、言葉にして初めて客観的に判断できるのです。

文法的にメチャクチャだったとしても、解釈する側が頑張ってくれる日本とは違い、誰が相手であっても整然と展開でき、豊富な情報量の語彙を用いた表現で話せる訓練を欧米で行ってきたからです。

しかも2400年ほど前から。

この学びがないから日本は空回りをしています。

形だけですから重厚さがありません。

 

地味ですが、土台を固める教育が日本に今求められています。

それは詰め込み教育ではありません。

いくら知識を詰め込んでもネット検索のほうが合理的です。

現代の人間に求められるのは詰込みではなく出力です。

それは言葉なのです。

 

どんな話題にでも対応でき、毎回違う語彙を使うなら飽きることはありません。

一緒に働くなら、いつも話題が同じ人よりも、毎回違う話題と見方を提供してくれる人の方が飽きが来ません。

それがクリエイティブな人なんです。

前例のみが判断基準ではなく、ものごとを批評的に見ることができるから問題点を指摘し改善点を見出すことができます。

批判ではありません。

 

そんな言葉の教育を可能にするのがパブリックスピーキングです。

出された課題に対して論理的に展開し、修辞的な工夫をし、文法的に正しい言葉を使う訓練をすると見える世界があります。

他者の言葉に対して敏感になりますので、流行り言葉を使わないようになります。

独創的な言葉は独創的な発想を生みます。

この考え方が世界を変えるために欠かせません。

 

世界から置いていかれている日本には根本的な治療が必要です。

それは学校教育でもあり、生涯教育でもあります。

学校教育の変革は現場からどうせ反対が起こりますから、期待できません。

社会人がまず変わりましょう。

今だったら日本の上位20%になれますよ。