学びの基礎
昔から言われている読み書きそろばんは、初等教育の基礎だと考えられていました。
が、当然今では死語ですね。
21世紀も4分の1が過ぎようとしている今は、パブリックスピーキング、デジタルシティズンシップ、そしてプログラミングの三つが必要だと私は考えています。
書くに関してはパブリックスピーキングと関連しますが、昔の「書き」は書道を指していまして、新しく文章を作り出すなどやっていませんでした
パブリックスピーキングは話すイメージをお持ちの方も多いことでしょう。
でも、書く段階から、いえ考える段階から始まっていることにご注意を。
決まり文句ではありません。
だから日本人が儀式で行う「〇〇でございます。本日はお足元の悪い中、大変多くの皆様にお越しくださいましたことに、心より御礼申し上げます。高いところからではありますが、僭越ながら一言お祝いの言葉を…」などの決まったセリフを読み上げるかどうかではないのです。
これでは常識を披露するだけの形骸化された朗読です。
そして季節の挨拶なんかを入れて、拝啓だとか何だとかを入れるルールを守って、きれいに書くことができる学びだったのです。
パブリックスピーキングとはいかに生産的で、いかに独自に工夫された言葉を紡ぎだすかがカギとなります。
だから原稿を書く段階から始まるのですね。
書道ではありません。
そんなの今の時代はタイピングスキルというべきですが、日本にはキーボードを打てない人も多い。
書道よりも子どもたちにキーボードで打つ練習をさせることの方がはるかに大事です。
読むのが大事なのは今でも変わりません。言葉のインプットはいつの世も大切です。
でも空気を読むことだけに注意が行くのであればそれは正したほうがいい。
その場よりも、相手が誰であっても伝えるべき意見を言葉にするスキルを学ばないといけません。
これもパブリックスピーキングです。
デジタルシティズンシップはメディアをどう選んで扱うかだけでなく、どう付き合っていくかに主眼を置いています。教育の中で、メディアを禁止するのではなく、いかに主体的に共存していくかを説いています。
現代人はとにかく今デジタル化しないといけません。
いつまでも職人を売りにしていては世界で戦えないからです。
「危ないから」という理由から子供をデジタル機器から遠ざけるのではなく、使い方を教えるべきなのですね。
ソーシャルメディアとの付き合い方を教えることで、自ら危険を回避する術を教えます。
最後に、プログラミングは必要です。
10年ほど前にイギリス人の同僚が驚いていたのは、世界には日本製のコンピューターで溢れているのに、コンピューターを使える日本人が恐ろしく少ない点でした。
当時からその方の子供さん(当時高校生)はイギリスでプログラミングを小学校時代に習っていたと聞いて、私は椅子から転げ落ちました。
まだまだ日本の教育ではプログラミングは始まったばかりです。
もっと進めるべきですね。
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