今の時代、ネット上には何のチェックも
ないままに流された自由な情報が
散乱しています。
でも簡単に流せるだけ信頼できないものが
たくさん出回ります。
テレビでも不思議なことを言う人たちが
います。
今日はコミュニケーションに限定して
皆さんに私の意見をお伝えします。
コミュニケーションは人間関係?
違います。
コミュニケーションの本来の意味は
「メッセージを伝達し交換する」です。
伝えるという意味だから
「病気を誰かに移す」という意味でも
communicateという単語が使われます。
コミュニケーションが人間関係だと
誤解されている理由は、日本文化が
「コミュニケーション」の際に「人間関係」
を重視するからです。
だから二つの別の次元のものがここに
あるのにもかかわらず、
日本では一緒くたにされているわけです。
正確にはコミュニケーションに影響を与える
人間関係という要素があまりに強いため、
コミュニケーションに見出そうとして
しまうのです。
マスコミュニケーションを考えると
分かりやすいですが、
massとは大衆という意味ですので、
一般大衆に向けた情報伝達ということが
分かります。
そもそもそこに人間関係の構築は
ありません。
コミュニケーション能力って何?
コミュニケーションと人間関係を
混同するからコミュニケーション能力を
まともに説明できなくなるのです。
その結果、日本でコミュニケーション能力が
何かを聞いたら「空気を読む」とか
「聞く力」とか「協調性がある」という人が多く、
かつこれを伸ばす方法なんて分からないから
「コミュニケーションが難しい」
と多くの人が悩んでしまいます。
つまり相手次第で「何を言うか」や
「何を言うべきでないか」、そして
「どう接したらいいか」などの指南書が
コミュニケーション能力の伸ばし方だという
誤解が全国的に広まっています。
本来のコミュニケーション能力とは
「効果的にかつ適切に伝達する力」です。
それが書店に「論理的思考」と
「語彙の増やし方」という本が並ぶ
理由です。
相手が誰であれ「まともな説明」が
できるかどうかです。
近い関係性にある人は
「このくらい言わなくたって」と思うかも
しれないでしょうし、
友人と話すのであればその世代特有の
流行り言葉で通じるかもしれません。
先日「全然ヤバい」という言葉を聞いた
ときにアゴが落ちそうになりましたが、
彼らにはそれが否定なのか肯定なのかが
瞬時に通じるのでしょう。
私を含め、このブログ読者のほとんどの方
には通じない表現だと思いますが…
「伝える」ではなく「伝わる」?
ちゃんちゃらおかしいですね。
逆です。
「伝わる」ために相手が誰なのかを十分に
考えましょう、などと書いているサイトが
たくさんあります。
素人の発想です。
コミュニケーションは人間関係でも
なければ、空気を読むわけでもありません。
自発的に伝えることが本来の姿です。
国際的に言って日本の恥だ
立憲民主党幹事長の福山哲郎氏の発言です。
「 日本の恥」って発想は国際的では
ありません。
恥とは「他者の目により自分の面子が
脅かされることで傷つく感情」を指します。
日本人はこの「他者からの評価」を
異常なまでに気にします。
だから授業中に学生は間違いによる自身の
評価の低下を恐れて、
または教師の授業の進行の邪魔をすまいと
質問を避けます。
福山氏は「こんなこと言われたら同じ
国民の自分が非常識と思われて
恥ずかしいから言わないでよぉ」と
考えたのでしょう。
非常に日本的な発想です。
トランプさんも忖度してほしいですよねぇ
安倍総理大臣がトランプ氏を迎えるうえで
大歓迎を企画しているという情報が
流れた時に教育評論家の尾木直樹氏が
言っていた言葉です。
「こんなにおもてなしをするんだから、
その意図を汲み取ってほしい」ということ
でした。
するわけないでしょうに。
福山さんの時もそうでしたが、
尾木さんも国際的なものの見方、
いえ文化的な違いを理解できるよう
学んだ方がいいですね。
組織コミュニケーション
この単語を聞いたら、きっと組織の中での
コミュニケーションを連想されること
でしょう。
でも実は違うんです。
コミュニケーション学では「組織の中で」
ではなく「組織として」の
コミュニケーションを調べます。
組織の中でのコミュニケーションは
電話とかメール、同僚との会話、上司に連絡
などが含まれるのでしょうが、
それは単なる対人コミュニケーションです。
組織としてのコミュニケーションとは組織が
一つのユニットとして機能する
コミュニケーションです。
例えば、組織としての意思決定、
問題解決、衝突回避、謝罪会見…
組織の中でのコミュニケーションだと
考えている方は、ぜひ
対人コミュニケーションを受講して
ください。
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